村上春樹氏のカタルーニャ国際賞受賞記念スピーチ-1

 久しぶりに日記を書いたら、また書きたい熱が復活して来ました(笑)。
今まで書けなかった理由の一つは、いろんな仕事上あるいは人生上の悩み
や焦りあれこれでモヤモヤしていたことです。さらにその最中に、まさに
あの震災が追い討ちをかけ、自分はどう生きていくべきかと考え込んでし
まいました。そうこうしているうち、その振幅が少しまた落ち着いたのか、
自分が考えている事をまた発信してみようかな、なんて思えるようになった
今日この頃です。

 今ここに記すのは、作家、村上春樹氏の、上記受賞記念スピーチです。氏
はかつて、たしか著名な文学賞エルサレムに呼ばれ、そこで世界から絶賛
されるスピーチを行いました。ざっと申すと、「硬く強い壁の側ではなく、
弱い殻を持つ卵の側につく」と。しかしながら、皮肉にもその一件でユダヤ
不評を買い、手に入れかけていたノーベル文学賞が遠のいた、とも言われて
います。

 このスピーチの内容は、現代の知識人たる日本人は、どのような矜持を持
って、平和を希求する世界市民たり得ないとならないかを、極めて平易に、
かつ端的に熱く語っているものです。同時代を生きる者として、ひと時たり
とも忘れてはならぬ、大事なメッセージがぎっしりと詰まっています。です
ので、このスピーチは日記に残さないわけには参りません・・・。

 今回、このスピーチの内容を教えて下さったのは、僕が敬愛する「site
まつを」       http://www17.plala.or.jp/matsuwo/
の主宰者、まつを先生。知性と感性とユーモアの達人だと僕は思ってます。
彼はまた、僕のアウトドア遊び仲間の兄貴的存在でもあります。

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「非現実的な夢想家として」 

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開
いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、
一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間が
かかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。
それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者に
キスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっ
ても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い
歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても
幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な
話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な
地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短く
なるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい
爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しまし
た。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からない
ことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲に
なり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲って
きた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々
は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその
立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、
その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活
の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのも
のをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくこ
とを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風
の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われま
す。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本
列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、
危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で
生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予
測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大
地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年
か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震
が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、
あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、
直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、
正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の
生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで
働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしてい
ません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所
で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしく
なってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=
常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆる
ものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、
依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界
観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の
精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変
わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。
人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人は
そのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を
愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことである
かのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、
その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

シンセを背負った渡り鳥

 末弟の結婚式で家内と一緒にピアノやキーボードを弾く羽目になり、大いなる恐怖と
少々の羞恥心を以て臨み、博多某所での出番をどうにか終えた。


 末弟は去年の初め、博多の飲食店で常連客同士として新婦と意気投合。その後、弟は
急な転勤が決まってしまったが、その際、仕事関係の後輩の強い後押しで勇気を出して
告白。そこから二人の愛は一気に燃え上がって、現在に至ったという。穏やかでチャー
ミングな明るい女性だが、エピソードからはきっと熱いハートの持ち主に違いない。


 式での演目は、お客様着席までドビュッシーモーツァルトの小品(ピアノ、家内)、
新郎新婦入場には壮麗なパイプオルガンの音色でシンセサイザー(持込み)を使ってロ
ーエングリンより婚礼の合唱(結婚行進曲、もちろんこれも家内)、あと、余興で一曲、
サティのジュ・テ・ヴー(お前が欲しい)を、シンセとピアノの合奏、そして最後のリ
フレインをピアノに飛び移り(笑)、連弾で締めた。要するに、僕は最後の曲のみが出
番だったのだが、最近のシンセは低価格なのにプリセットの音色が物凄く造り込んであ
り、倍音成分が豊かで響きも美しく、驚嘆に値する。


 幸い、どうにかカミさんの足を大きく引っ張らずに済んだようだったので、ホッと胸
を撫で下ろしたのも束の間、僕には最後の最後に大仕事が待ち受けていた(汗)。新婦
のご両親に好いていただいたせいか、亡きわが父の代わりに僕が最後に謝辞を述べよと
いうことになってしまった。子供もいない中年男だが、大役に見合うスピーチかは疑問
であるものの、どうにか突っかからずに話し終えることが出来た。


 帰路、電車に乗るべく博多駅に降り立ったTシャツにジーンズの中年男は、背中に長い
リュックよろしくバッグ入りのシンセを背負い、右手にスチール製の大型スタンド、左
手にはスピーカー付きアンプを大きなキャリーバッグに収納してゴロゴロ曳いている。
きっと傍目には怪し気なストリートミュージシャン風情に見えたことだろう(笑)。


 長崎に向かう特急かもめ号の窓外に見える佐賀平野は、麦秋の趣。夕焼けの中、今は
大変珍しくなった茅葺きの農家を数軒見い出すことが出来、ちょっと幸せな夕暮れだった。

今、思うこと

 年が明け、1月2月は異常なほどの出張続きで、週末家にいることの方が少なかった。
いきおい、真冬の素敵な海で小舟に乗って漂うことは叶わずじまいだった。


 そうこうするうち、あの信じられないような大震災が東日本を襲った。3月11日午後、
尋常でない大地震が起きたという知らせを職場で耳にした僕は、多数の同僚達と共に
大型テレビの前に釘付けとなった。


 誤解を恐れずに言えば、「まるで出来の良過ぎるCGのような」巨大な津波が横一線
となって白い波を立て、堤防を舐めるように越えては陸地に次々と侵入した。そして、
超強力なブルドーザーが横に並んで突っ走っているかのように、信じられない破壊力
を以って大型ビル以外のほとんどの物をなぎ倒して進んでいく様を、ただただ力なく
見守るしかなかった。


 被災された方への援助をどのように行い続けていくかは、きっと非被災地住民であ
る私達の多くが抱えた課題であるに違いない。お祝い事の自粛だけではいけない、直
接駆けつけてのボランティアもなかなか叶わない。募金だけはかなり頑張ったが、他
にどんな形で援助を続けていこうか?僕だけでなく、みんなきっと悩んでいるに違い
ない。
 
 そうこうしながら、3月の終わりに、僕は海に戻ることを決めた。さらに言えば、
震災直後に、悩んだ挙句、前回登場した新進女優TKさんの舞台千秋楽にも駆けつけた。
自分の好きなことは多少やりながら、援助の道を模索していくことにしたのだ。


 被災された方には不謹慎で申し訳ないが、それが僕が執るべき道のように思える。

愛しのヴァランシエンヌに日生劇場で出逢うの巻:その3


 2011年もスタートしたかと思ったら、大忙しのうちに、気がついたらもう月末・・・!明日から出張だし、まだ漕ぎ初めもしていないし(3月末までビッチリスケジュールが埋まりかけていて、いつ海に戻れるか大いに不安!)、仕事の上でもヘビーな出来事があってたりと、波乱のうちに2011年は走り始めております。
 いつになったら、話が先に進むのか!もう相当、しびれを切らし、見捨てて下さった方も多いことと思います。ま、ブログなんてのは私的な、ある意味、自慰的なものでもあるのですから、ま、テキトーに好き勝手に続けちゃいます。みなさん、たま〜にフラリと寄って下さったら、もう望外の悦びだったりするわけです。ま、お気楽に(笑)!
 緩和、じゃなかった閑話休題。気持ちよくオペレッタに酔いしれ、向かった先は受付の裏、関係者のみ通行可能な、楽屋への道。係の人に許可を受け、他の方々と一緒にしばし待って、大きなドアの奥の向こうから、一杯飲んでほんのり上気した方々が家路を急いでいたりします。そう、Bプログラムの初日は上出来だったのか、祝杯を上げたみたいでした。ジャージ姿で額に汗が光るわが真実子さま、まだ息が弾んでいます。そして話しっぷりがオペラチックな大きく表情豊かな声であることに、話し始めて自分でも気づいて笑っていました。楽しく、そして激しかった舞台の余韻を残した、彼女との束の間の、しかし貴重な時間を過ごさせてもらいました。
 夕闇迫る大都会。タクシーに乗った散人先生としんのじは浅草を目指します。行き先はかの有名などじょう料理のお店。活気あふれる店内は、老いも若きも大いに話し、食べ、精力的に皆が楽しんでいます。江戸時代そのままの店内には、外人さん達も興味津々です。どしょう鍋に葱をどっさり載せ、胡坐をかいて、辛口の日本酒で話も進みます。舞台の話、芸の話、人生とは、等々。散人さんと、この東京で劇や芸の話をし、どじょう鍋を突つくのは最高です。
 二次会は、銀座です。目指すはかつて散人先生が懇意にしていた串焼き屋さん。歩けども歩けども見つかりません。おそらく、もう店を閉めたのではないかということになりました。途中で妙齢の女性占い師さんに将来を占ってもらったりもしました(僕は、芸術家肌の二人が、助け合って楽しく暮らしていくでしょうと言われ、あ、なるほど、と、家内との今後をちょっぴり安堵したものです(笑))。
 ある瀟洒な一杯飲み屋的ワインバーに、グラス片手に艶然と微笑む和服姿の麗人が二人・・・。しんのじのみならず散人さんも吸い込まれていました(笑)。気がつくと二人して、そのお店に入っていました。本当に品がよくて笑顔が素敵なそのお二人は、さすがに素人ではなく、銀座の高級料亭の女将さんと仲居さん。楽しく話してひと時を過ごし、名刺交換までしちゃいました(そしたら、後でびっくり!面相筆で素晴らしく丁寧に宛名書きされて届いたダイレクトメールは、一人前最低1万5千円からのコースが書き記してありました(汗))。
 まだまだ続きます(笑)。三次会は六本木です。散人先生、だれかに電話をかけ、呼び出しておられます。しばらくして、到着されたお二人は、落ち着いた風貌の初老の男性と、孫にも見える、可憐な女の子(と言っていい女性)の二人組。男性の方は僕も存じ上げている、某プロダクションの社長。女性はそこの新進女優さん、TKさんでした。ゴルフの宮里藍ちゃんをちょいとスリムにして可愛くした感じのスイートな女優さんです(藍ちゃんファンの皆様、ごめんなさい)。民芸風居酒屋で、魚や惣菜を突きながら、演劇論が熱く語られます。本当に面白く、勉強になるやり取りの連続です。
 盛り上がった不思議な四人組(笑)は、ついに四次会、カラオケ屋まで突入します!長崎のオジサン二人組は、彼女にザ・ピーナッツ山口百恵さんを教えようと躍起になります。彼女は彼女で、ミュージカルの勉強や、慰問のためのレパートリー作りにも興味津々の彼女、真剣に付き合ってくれます。僕は僕で、久々にハモれるので楽しくて、つい上をつけたり下をつけたり、オブリガートをつけたりとはしゃいでしまいました。社長は社長で、元・名斬られ役の演技力よろしく、長台詞付きの演歌を見事に歌い上げられます。散人先生も、裕次郎モノや演歌はお手のモノ、です。
 そうやって深夜まで、時間を忘れて歌い騒ぎ、不夜城の六本木の夜は更けていきました。お別れする前、社長さんが撮って下さった写メが、これ。オジサン二人、盛り上がっているでしょう(爆)?顔がほどよく飛んでいるのは、ちょうどバックにSMAPの広告が燦燦ときらめいていたからなのでした。彼女、去年、SMAPよりも売れに売れた某・男子グループの一人と舞台で共演しています。今後、もっともっと力をつけ、第一線で活躍する女優となることでしょう。彼女の将来に、明るい未来がありますよう!

愛しのヴァランシエンヌに日生劇場で出逢うの巻:その2

 海外の劇場での失敗談でお茶を濁し、引っ張りまくっておきながらなかなか東京編は進行しなかったのには少々訳があります。
 しんのじはしばらく次々と病を患い、12月に入ってからというもの、数週間ほど絶不調でありました。どうにか仕事に穴を開けないだけで精一杯の状況を過ごして参りましたのは、東京で遊びまくったツケがきたのでしょうか。でも、不謹慎ではありますものの、あの東京での甘美な一日は、体調を崩しまくったこの3週間近くを引き換えにしても、お釣りが来る位楽しかったのでした。
 初めて訪れた日生劇場。近くには名だたる名劇場が鎮座し、その中には散人先生が主戦場とされていた某劇場もすぐ隣にあります(今は改装されており、当時の面影は薄いそうですが)。隣のカフェでエスプレッソを飲み、花束を受付に預けていざホールへ。愛しのヴァランシエンヌがとって下さっていた席は、前から6列目というスペシャルシート。しかし、前過ぎないので舞台の奥行きはしっかり見え、足首から下が見えないなんてことはありません。
 オケピットには小編成のオケが楽器を温め、チューニングにいそしんでいます。開幕前の、本当にワクワクする時間が過ぎてゆきます。
 話し出すと、たぶんもうキリがないので、ちょっとずつ頭に残ったことを断片で書いちゃいます。ものすごく大雑把に筋をまとめると、要するにポンテペドロ国の富豪の未亡人、ハンナを巡る恋の駆け引きの物語です。と言ってしまうと身も蓋もありませんが(笑)、このテーマに、国の要職に就き、国家の将来を憂うツェータ男爵の貞淑な若妻のはずのヴァランシエンヌと伊達男カミーユとの禁じられた恋模様が絡んできます。彼らが密会中につい落としてしまった「あ・い・し・て・る」と書かれた扇を鍵に、物語がどんどんこじれて、爆笑の展開(誰が、誰に渡した扇なのか??を巡る憶測の嵐(爆))を迎えていくわけです。この二人の、コミカルだけれどちょっと甘酸っぱい恋の駆け引きが大変小気味よいのです。明るい歌声はいいし、演技はお茶目で、台詞回しも楽しさ満載。もう、客席は受けに受けまくっています。隣の散人先生の笑い声も聞こえます。
 朗々たる歌声と、熟練の台詞回しで舞台を落ち着けるツェータ男爵役の池田直樹氏は、いわばオペレッタ全体のリーダー役。ハンナを密かに慕い続けるダニロヴィッチ伯爵役の桝貴志氏は、ぶきっちょで一途なキャラを、張りのある声で見事に表現。パリ社交界の伊達男、カミーユを演じる小原啓楼氏は、明るい声の素晴らしいテノールで、まさに適役。日本にもこんな素敵なテノールがいることを幸せに思います。また、伊達男の一人、サン・ブリオッシュ役の近藤圭氏も、粋なルックスとキャラの立った立ち回りによく通る声で、楽しさをさらに深めていました。主役の未亡人、ハンナ・グラヴァリ役の永吉伴子さんの端正な歌声とやや抑え気味の演技は、物語に深みを与えるいい効果があったように感じました。また、狂言回し役で、ストーリーの進行をそれとなく台詞で告げていく、召使いニェーグシュ役の鎌田誠樹氏は元々ミュージカル俳優さんだそうです。その際立ったコミカルな演技と、跳ねた髪型はまるで手塚治虫氏の漫画から飛び出してきたような楽しさで、舞台に活き活きとした魅力を加えていました。この方、歌もオペラ歌手に混じってそう遜色のないレベルでこなせていたと思います。将来が本当に楽しみな役者さんです。  
 プロのダンサー達による見事なジャンプを織り込んだ、モンゴルと中東を合わせたような不思議なポンテペドロ国の踊りも面白く、楽しい楽しいオペレッタは快調に進んでいきます。 
 そして、いよいよ第3幕。パリのマキシムで、踊り子に紛れ込んだヴァランシエンヌほか貴婦人達が、愛くるしい衣装を身にまとい、脚を高く上げてプロのダンサーとほどんど同じレベルでカンカン踊りに興じます。綺麗に高く脚が上がって、目のやり場に困るほどです(汗)。そしてついにはプロの男性ダンサー2人にリフトされ、真実子嬢はなんと空中で回ったりまでするではありませんか!一昔前のオペラ歌手からは考えられすらしなかったような凄い演出!!歌い手達も嬉々として躍動しています。演出の山田和也氏も当然凄いのだけれど、バレエ教室に通い、脚を氷で冷やしながら練習に耐えた真実子嬢にも心から拍手を贈らずにはいられません。そして、指揮を執るマエストロ下野竜也氏は、全体の軽快な流れをしっかりとキープしつつ、聴かせ所はしっとりと場を締め、極めて自然で心地よい音楽の流れを作っておられました。さすが、若手No.1の呼び声も高い、才能に溢れる方だと実感しました。
 てなことで、大変盛り上がった素敵な舞台。散人先生と共に楽屋にお祝いに出向いた話や、夜の東京各地を豪遊した話は、第3話に譲るとします。本当にこの話だけで引っ張りまくりですみません。
 追伸:先週末、久しぶりにシーカヤックの3人連れで、長崎湾口の初冬の午後を楽しんで参りました。石垣が崩れかけた昔の砲台の跡や、洞窟探検など、半日でしたが充実した楽しいパドリングでした。そうそう、それに東京番外編(笑)で一緒にカラオケパーティをした某新進女優さんと、昨夜、島原でも大いに盛り上がりました!もちろん、散人先生プロデュースです。その話も、おいおい、ね(笑)!

愛しのヴァランシエンヌに日生劇場で出逢うの巻:その1 〜二期会オペレッタ メリー・ウィドー(Bプロ)〜

 あれはひどく暑かった今夏のある日のこと。坂井田真実子さま、貴女の声を初めて耳にしたのはわが職場の玄関ホールでありました。そこは僕が密かに「歌手殺し」と呼ぶ、悲惨なまでに音の響かない場所。貴女は、その華奢な体つきから信じられないほどの豊かな響きを、マエストロ大野和士先生のピアノと共に奏で、わが職場を夢の空間に塗り替えてしまわれました。
 その日、全国縦断・慰問ツアーの第一弾として、わが職場でその美声と素敵な笑顔を披露して下さってからというもの、不肖しんのじは貴女様のことが頭から離れません。貴女の声に恋焦がれ、わくわくして次の機会を待ち望んでいた僕が最高の悦楽を味わう場となったのは、日比谷の日生劇場、去る11月末の某日でありました。そう!どうしても彼女の二期会オペレッタデビュタントに立ち会いたかったしんのじ、仕事の合間を縫って馳せ参じたのでした。僕の相棒は、今回は愛妻どのではありません。いえいえ!別に僕が避けたのではなく(笑)、残念ながら彼女に音楽の仕事が入ってしまったからでした。
 でも、というか、だから、というか、僕がどうしても一度ご一緒したかった超大物の先輩をお誘いすることとなりました。チケットがあることをお伝えすると、喜んでそのお忙しいスケジュールを空け、同行して下さることとなったその方は、僕が散人先生とお呼びするTFさんです。散人先生は元・東宝のプロデューサーで、舞台芸術に大変造詣の深い方であり、また「大人の遊び方」の大先輩でもいらっしゃる粋人です。艶聞引きもきらず、男子たるもの、この位もてたら人生本望だろうと思えるもてっぷりは羨望の的でもあります。
 その日、朝から築地で初絞りの地ビールを片手にお寿司を楽しんで、もうしんのじは完全に頭の中がお花畑モードです。というか、少し音楽を齧っていたしんのじ、あれこれ余計なことを考えず、音楽や舞台の楽しさだけに集中したい時は、アルコールの力を少し借り、ほどよくテンションの上げ下げをして劇場入りするようにしています。とか格好よく申しておりますが、何のことはない、過去に異国で大失敗の経験があります。
 ご存知の方もいらしゃいますが、しんのじ、実はアルコールにかなり弱い。あれは15年ほど前、学会出張で家内を同伴して行ったシドニーの、ちょっと小ぶりで瀟洒なオペラハウスでの出来事でした。その劇場は小規模にもかかわらず、地下に素敵なバーがあり、紳士・淑女が美味しそうにシャンパングラスを交わしています。大いにそそられたしんのじ夫妻も、負けずに酌み交わします。そこまではよかった。で、気持ちよくなりすぎたしんのじは、舞台が始まって30分足らずで爆睡モードに入ってしまったのでありました。
 それだけならまだよかったのですが、ミュージカルがお好きな人はよくご存知の、この日の演目は「オペラ座の怪人」。大音量のパイプオルガンの旋律が下降したり上昇したりする、あの大げさなサビが有名です。そう!しんのじは、しばしば話の展開で出現するあのモチーフと共に覚醒し、頭をもたげていたのでありました。あの「ダーーーン、ダダダダダーーーン↓、ダダダダダーーーン↑、ダダダダダーーーン↓」のメロディが劇場内に轟くたび、まるでゾンビのように頭をもたげていたのです。横にいた家内は、あまりのおかしさと恥ずかしさに、大声が出そうなのを必死で抑えていたそうで、後で聞くと、実際、周囲から笑いを押し殺すような声にならぬ声が聞こえていたとのこと。しんのじ、あの時は愛妻どのに悪いことをしました・・・。大いに脱線してしまいましたが、次回はまた、愛しの真実子さまに話を戻すとしましょう!彼女の踊り子姿をプリントアウトして、ちょっとぼかしてデジカメで撮り直したら、まるでドガの踊り子です。そう、素敵な踊り子だったのです・・・。【続く】
 

初打席で満塁ホームラン!(たぶんもう、僕の人生で二度とない)

 あんまりスポーツの試合で活躍したという記憶がない僕の、一生のうち、もうないかもしれない栄光の場面を、幸いにも昨日体験することが出来た。他人様にとって全く面白くもない話も、ブログとなるとつい書いてしまう自分が怖いが(汗)、一応記録しておこうと思う。
 昨日は、長崎くんちの踊り町のうち、集まることの出来る5ヶ町が集まり、ダイヤランドソフトボール場にて、親睦ソフトボール大会が開催された。わが八幡町以外は、お隣の麹屋町、そして五島町、榎津町、それからおくんち本番を終えたばかりの銅座町が参加。多くの参加者は、長袖シャツの上に、それぞれの町のおくんちTシャツを着ての参加だ。それぞれの踊り町は、おくんちの出し物の練習をする際、根曳衆や関係者が、その出し物や風物のイラストが描かれ、町名の入ったTシャツを作り、着用している。このTシャツは、町を代表して何かのイベントを行う際等にも、しばしば着用される代物なのだ。
 目に痛いほど青々と晴れ渡った空。飛行機雲や、多彩な花火にも似た筋雲が青に映える。時々刻々と変わる雲の様が美しい。夏から一気に晩秋に切り替わったような今日この頃だが、秋のカラリとした風は、少し冷たいが心地よい。
 第一試合、銅座町との対戦で、1回表、2死満塁で打席が回って来た。正直、強打者とはとてもじゃないが言えない僕は気が重かった。たしか初球だったか2球目だったか、スローピッチの投げ方でも、特にゆっくりとした低めの球が来たので、とりあえず一人でも本塁に返せたら、と願い、無心でバットを振った。
 するすると三遊間を低いライナーで抜けた打球は、たまたまセンターとレフトが広く間隔を空けて守っていたちょうど間を転がってゆき、一塁回ってトットコト(これを知っている人は古株ですな(爆)!)、二塁回ってトットコト、と、気付いてみたら本塁まで走り込んでしまい、なんと(いわゆる)ランニングホームランになってしまった。町の青年団諸氏とハイタッチの連続。これは本当に痛快だ!ただし、もう太腿と膝はカチカチになって乳酸が溜まった感じで、第一試合の、しかも初回にして、もうほとんど余力なしの状態となってしまった。
 結局、第一試合の結果は8対7の逆転負け!次の試合は、疲労困憊のため休ませてもらい(ちょっと最近また再発している眩暈発作も少し出かかっていたのもあった)、第3、第4試合には復活してまた参加した。結局、たしか1点差で惜敗した試合がもう一試合あり、他の2試合も負け。要は4戦全敗だったわけだ(涙)。僕が最初に運を使い果たしてしまったか!ま、わがチームには小学生も数名混ざって一緒にプレーしたとか(他のチームがあまり手加減してくれなかったのが大人気ないなあと、笑って野次ってやったんだが(爆))、うちの町の人間はお人好しの人が多く、あまりガツガツしない(これは本当!)とか、いろいろと理由はある。
 結果はともかく、快晴の秋の一日、風の吹く、丘の上のグランドで、一日親睦ソフトボール大会に興じることが出来たのは何よりだった。筋骨隆々たる見事な体格の若者達に混じって、50間近の小腹の出かけたオッサンである僕も、なんとか気を吐いたと言いたいところだが、明けてみれば、今日はもう、膝と太腿、それに右腕の前腕が凝りまくって仕方がない。もう、一歩一歩踏み出すたびに悲鳴が上がりそうな位、パンパンに張っている。この筋肉痛も、何となく心地よく感じられてしまうほどに、初打席満塁ランニングホームランってのは陶然たる体験だった。