村上春樹氏のカタルーニャ国際賞受賞記念スピーチ-1

 久しぶりに日記を書いたら、また書きたい熱が復活して来ました(笑)。
今まで書けなかった理由の一つは、いろんな仕事上あるいは人生上の悩み
や焦りあれこれでモヤモヤしていたことです。さらにその最中に、まさに
あの震災が追い討ちをかけ、自分はどう生きていくべきかと考え込んでし
まいました。そうこうしているうち、その振幅が少しまた落ち着いたのか、
自分が考えている事をまた発信してみようかな、なんて思えるようになった
今日この頃です。

 今ここに記すのは、作家、村上春樹氏の、上記受賞記念スピーチです。氏
はかつて、たしか著名な文学賞エルサレムに呼ばれ、そこで世界から絶賛
されるスピーチを行いました。ざっと申すと、「硬く強い壁の側ではなく、
弱い殻を持つ卵の側につく」と。しかしながら、皮肉にもその一件でユダヤ
不評を買い、手に入れかけていたノーベル文学賞が遠のいた、とも言われて
います。

 このスピーチの内容は、現代の知識人たる日本人は、どのような矜持を持
って、平和を希求する世界市民たり得ないとならないかを、極めて平易に、
かつ端的に熱く語っているものです。同時代を生きる者として、ひと時たり
とも忘れてはならぬ、大事なメッセージがぎっしりと詰まっています。です
ので、このスピーチは日記に残さないわけには参りません・・・。

 今回、このスピーチの内容を教えて下さったのは、僕が敬愛する「site
まつを」       http://www17.plala.or.jp/matsuwo/
の主宰者、まつを先生。知性と感性とユーモアの達人だと僕は思ってます。
彼はまた、僕のアウトドア遊び仲間の兄貴的存在でもあります。

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「非現実的な夢想家として」 

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開
いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、
一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間が
かかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。
それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者に
キスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっ
ても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い
歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても
幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な
話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な
地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短く
なるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい
爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しまし
た。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からない
ことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲に
なり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲って
きた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々
は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその
立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、
その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活
の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのも
のをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくこ
とを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風
の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われま
す。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本
列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、
危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で
生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予
測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大
地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年
か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震
が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、
あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、
直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、
正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の
生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで
働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしてい
ません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所
で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしく
なってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=
常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆる
ものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、
依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界
観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の
精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変
わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。
人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人は
そのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を
愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことである
かのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、
その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。