村上春樹氏のカタルーニャ国際賞受賞記念スピーチ-2

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。
我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれ
らがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色
を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、
消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕には
わかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では
「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてき
たのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼした
かもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段か
地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでい
ます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくで
しょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い
歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけ
にはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。
どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといっ
て、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつ
なのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしか
ありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごと
についてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを
持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできませ
ん。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というもの
ではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震津波の被害にあった六基の原子
炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散ら
しています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃
度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされまし
た。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んで
いた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりで
はなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子
発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったため
です。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、
安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。
なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、
営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進め
るために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなり
ません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活
を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然の
ことです。

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けて
いるけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるい
は、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本
国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、
あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態
は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。
1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾
投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般
市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の
多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったと
いうことです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の
身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだの
です。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、
もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使する
ことはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが
日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこには
そういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも
被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという
点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点に
おいては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて
加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって
放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどの
ようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史
上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけで
はありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々
自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。